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世界のトップアスリートに支持されるオステオパシー

月間【ネクスト】にオステオパシーの記事が紹介された。
世界のトップアスリートはオステオパシーをコンディションアップのために施術を受けている人が多い。

特に、ヨーロッパではフランスのアスリートが支持されている。

今回は、オステオパシーは何をアスリートにしてくれるのか等、解説する。
また、この技術をどこで、学べるか。フランスの学校と提携している日本の唯一国際オステオパシーの学校を紹介する。
解剖学や生理学に基づき施術する
筋骨格系・内臓系・頭蓋仙骨系の問題を探し施術
内臓オステオパシーの実技

原田 健穰先生に聞く(月刊手技療法2012年5月号から引用)

今回は日本オステオパシーメディソン協会会長として、またスティル・アカデミィ・ジャパン創設者として日本のオステオパシー普及に尽力されている原田健穣先生をお尋ねして、海外の手技療法事情、オステオパシーの魅力、学校経営などについて貴重なお話をお伺いすることができました。

バイクの競技を通じて手技療法と出会う
 
本誌:お生まれと手技療法との出会いからお願いいたします。
 
原田:1948年、東京は池袋で育ちました。手技療法との出会いのきっかけは、若いころ乗っていたオフロードバイク・トライアルというバイクの競技なのです。
 
本誌:バイクの競技をされていたのですか。
 
原田:ええ,勤めながら土日にはほとんど欠かさず、いろいろな競技に参加していました。日本ではまあまあの成績を収めていましたのでひとつ腕試しにと、スペインでの国際競技に参加したわけです。ソコソコの成績を上げることができると思っていたら、あまりの世界のレベルの高さに一気に挫折です。(笑)
 
それで自分の方向性を失いまして、将来どうしようかと悩み1年ほどイギリスで過ごして帰国しました。

そのような時に友人のお父さんが柔整の接骨院をやっており、手伝ってくれないかと勧めてくれたのです。

彼のお父さんには、これまでも競技などで骨折や捻挫をした折など治療を受けていたのですが、その頃は患者として眺めていただけでしたが、人の苦痛を和らげる仕事はやりがいがあるのではないかと思い、翌年に板橋の大東医学技術専門学校に入り、柔遭整復師を目指しました。I976年、27歳の時です。


本誌:手技の治療を受けられたことがきっかけで手技療法の世界に入る方も多いですね。この大東医学技術専門学校は今年(2012年)の3月に閉校になりましたが…。
 
原田:残念ですね、学校経営は大変だと思います。
 
その後、私はその友人のお父さんの接骨院に勤め、夕方まで治療院で働き、夜学に2年間通学しました。

勉強していくうちに骨折や脱臼、捻挫、打撲などの治療は学べるのですが、もっと広い技術を学びたいと思うようになりました。

すると同級生にオステオバシーを学んでいる方がおりまして…当時私はオステオバシーとはどういうものかまったく知りませんでしたから、「どのような治療法ですか?」と尋ねると、「どこか痛いところがありますか?」と聞かれたので、2年前、バイクで転倒した折、捻挫した指の痛みが残っていたのでそのことを伝えると、彼は関節をチヨコチョコと動かすとたちどころに痛みをとってくれました。

これはすごいと驚き、この療法を学びたいと言ったのです。この方が現在のパシフィック・アジア・カイロプラクテック協会の名誉会長兼古将先生です。

兼古先生はお弟子さんもいらしたのですが、私はオステオパシーとカイロプラクティックを学びたいと熱望し、強引にお願いして受け入れていただきました。

1978年に大東医学技術専門学校を卒業し、その後、塩川満章先生の塩川スクール・オブ・カイロプラクティックに入学しました。兼古治療院に勤めながら夜間に通学し勉強しました。


本誌:大変な情熱を持って学ばれたわけですね。独立はいつ頃ですか。

原田:1981年に塩川スクールを卒業してから、ユニバーサル・カイロプラクテック・カレッジの講師をいたしました。その後、目白にて兼古カイロプラクテック分院長を務め、84年に兼古治療院を退職し、85年、千葉にて、はらだオステオパシー治療院を開業しました。


本誌:原田先生は海外の手技療法の情報に詳しく、その技術の普及に力を尽くされていますが、そのあたりのお話をお願いします。
 
原田:さかのぼりますが、オステオパシーをもっと学びたいという気待ちが強くありました。

兼古治療院の診療が終った夜に、数人の仲間と定期的にオステオパシーの勉強会を続けました。また、パシフィック・アジア・カイロプラクティック協会(PAAC)の中で作ったオステオパシー研究部門では、外国人の講師から学ぼうということで、87年に『入門頭蓋骨矯正法』著者デニス・ブルックスD.O.の奥様、ドリン・ブルックス医師の国際セミナーを初めとして、その後、次々と外国の先生を招聘してセミナーを開き、オステオパシーの研究を深めていきました。


本誌:そして日本オステオパシーメディスン協会(JOMA)を設立されるわけですね。
 
原田:そうです。経緯としましては、1990年パシフィック・アジア・カイロプラクテック協会からオステオパシー研究部門が独立し、日本オステオパシー学会(JOA)となります。これを2005年に日本オステオパシーメディスン協会(JOMA)に名称変更し、私が会長に就任して現在に至っています。

本誌:特にどのようなことに力を入れているのですか。

原田:国際基準ということです。ヨーロッパで定められている基準を日本でも保持するために正式な教育が必要だということで、カリキュラムを国際基準に定め、高い技術を身につけることができるような組織を目指しています。
 
まず、第一は患者さんを治せる技術の習得ということで、定期的な国際セミナーの開催。セミナーを系統的に、それも1回、2回ではなく、4回、8回シリーズと勉強してもらう。ひとつのテクニックをシリーズ化して臨床に使える技術として伝授することに配慮しています。単発のセミナーでは技術が身につかず、応用が効かないことが多いからです。

講義を受けることができない場合はビデオ学習も取り入れています。徐々に会員も増えてきています。

また、外部から新しい情報が入りにくいのではないかと思いまして、内臓マニピュレーション創始者のジャン・ビエール・パラルD.O.にご相談したところ、いい学校があるから紹介しましょうということになりました。そこで紹介していただいた学校はフランスのアンドリュー・テーラー・スティル・アカデミー(ATSA)です。

直ぐに理事達とフランス・リオンまで見学に行きましたが、非常にアカデミックで国際レベルの高い教育を実施していました。


本誌:スティル・アカデミィ・ジャパン(SAJ)設立につながるわけですね。
 
原田:オステオパシーはアメリカ人のA.T.スティルMD(医師)が1874年に創始しました。
 
ついに、念願のわが国初の国際的なオステオパシー日本校であるスティル・アカデミィ・ジャパンを、2009年11月に東京において開校いたしました。

日本オステオパシーメディスン協会とフランスで長い歴史と権威のあるA.T.スティル・アカデミィ 校とが提携し、優れた人材を育てることを目的とした世界の基準に沿った教育を目指し、A.T.スティルMDの提唱するオステオパシーの哲学・科学・技術に重点を置いた教育を行っていきます。

講師陣はフランスのベテラン教授で、通訳を介して授業が行われ、A.T.スティルMD提唱のオステオパシーカリキュラムを段階的に学びます。

卒業時にはディプロマの資格を授与され、国際的にも通用するオステオパスとして活躍が期待されます。


本誌:内容はどのようなものですか。
 
原田:入学の条件としては、日本の医療免許者、医師、歯科医師、理学療法士、作業療法士、柔道整復師、あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師、D.C.(ドクター オブ カイロプラクティック)、他団体付属のオステオパス養成校卒業生でMROまたはJOMACOへ登録している方など、そういう基礎医学を終了したものに限るという条件で受け入れています。

授業時間やカリキュラムもATSAに準じています。また名誉学長として、バラルD.O.と旧知の間柄のジャン・アルローD.O.にお願いして、快く引き受けていただきました。

ジャン・アルローD.O.には、2011年から「頭蓋」の国際セミナーをシリーズで教授していただいています。


本誌:やはり違いはありますか。
 
原田:そうですね、臨床に沿った講義内容で、基本のオステオパシーを教えているのですが、特に私が感銘を受けたのは、A・T・スティルが提唱した「身体全体を診る、身体はひとつのユニットである」ということです。

このことは、どこの協会でも、どなたでも謳っていることですが、実際には診ていないことが多いのです。理屈では解っていても具体的な訓練を受けていないため、診断や基本がきちんとできていない人が多いのです。その基本を徹底して教えてくれます。

 
ですから、今まで受講してかなり治療効果もあがり、私自身も含めてほかの生徒も治療効果が出ています。フランスで何十年と経験を積んでいる講師が臨床を通して磨き上げた教育システムを伝授しているからだと思います。

 
少しATSAの話をしますと、ATSAの主な教育理念は、筋骨格系、頭蓋、内臓という3つの大きな柱で教育プログラムを構成しています。

これを5年間で最低約1136時間学ぶことが必要です。

病変の問題が内臓から頭蓋の問題を起こしているとか、頭蓋から脊柱に問題がある、脊柱から頭蓋、あるいは内臓にと、それぞれの診断方法があるのです。このように、身体、ユニットすべてが関係しているので、これらをマスターしないと本当のオステオパシーを習得したことになりません。

 
高度な教育を実践して行こうと思っていますが、学校経営というのは大変です。

本誌:ところで、記憶に残るような患者さんのお話がございましたら。
 
原田:最近では30歳くらいのベリーダンスの講師をしている女性ですが、お酒を飲みすぎて電車の中で爆睡して手すりに寄りかかり寝てしまい、目が覚めると腕がダラーンとなり、手首も全く動かなくなっていました。

整形外科へ行くと橈骨神経麻痺と言われ、鎮痛剤を処方されたのみで治療は困難と宣告されました。

当院へ来院され、当所は症状の変化がみられなかったのですが、上腕部前部の橈骨神経部に神経圧迫があり、その部位をリリース(解放)すると1週後より少し変化があり、4回目くらいでかなり動くようになり、6回目で完治しました。

腰痛や首の痛みなどの患者さんも、細かく検査をして痛みがどこから来ているのかを診ます。

例えば交通事故のむち打ち症で何か月も整形外科に通院して良くならなくても、頚部の関節だけでなく、軟部組織などを根本的に施術することで後遺症もなく完治します。こういう症例はたくさんあります。

 
身体全体を診るというのがオステオバシーの真髄だと思っています。


最後に尊敬している世界的に有名なジャン・ピエール・バラルD.O.は筋骨格系、頭蓋、神経、血管治療と次々と新しい治療を編み出しています。

彼は偉大なオステオパスです。今年の5月に彼とアラン・クロワビエD.O.両名が開発した「内臓血管神経マニピュレーション」をクロワビエD.O.が講師として、SAJ主催で国際セミナーを開催いたします。2013年4月にはジャン・ピエール・バラルD.O.よる「新関節アプローチ法」セミナーをJOMA主催で開催いたします。
 
そのようなことで我が国に、より高度なオステオパシー治療が広く普及することを願って努力を続けたいと思っております。

本誌:本日は海外情報など斬新なお話をありがとうございました。日本オステオパシーメディスン協会とスティル・アカデミィ・ジャパンのますますのご発展を祈ります。

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