私が海上コンテナ輸送の運転手をしていた時の事です。
ディーラーの修理ミスにより、走行中トラックが反転するという異例の事故にあってしまいました。
それは早朝の出来事で、会社の同僚が事故現場を通過した際、大破したトラックを見てこれは死亡事故だなと思ったそうです。
私は運良く一命をとりとめ入院となりましたが、傷病名は頭部挫傷、頚椎捻挫、腰椎捻挫、左手挫傷と診断。MRI検査では、左側C-5・6にヘルニア・L4-5,L5-Sの中央から左側にヘルニアが見つかり、外傷性による椎間板ヘルニアと診断されました。
運良く一命をとりとめたと思われたあの事故当日より、その運良くと、思われた代償は凄まじいものでした。
それは、激しい痛みと痺れの為に、痛み止め入りの点滴と局部への注射、そして強い頭痛薬、睡眠薬、筋肉弛緩剤と休みなく薬付けにあいました。
入院から二ヶ月を経過した時には意識はもうろう、皮膚へ触れられても判らない程感覚も鈍くなっており、このままでは廃人になってしまうのではと不安になり、家族に話した事もありました。
そんな地獄の入院生活も三ヶ月に成る頃、入院患者の間で、整形外科では治しきれない症状が、施術などにより治す事が出来る治療があるとの話を聞き、現状の不安をかかえる入院生活から直ぐにでも抜け出したく、退院する事としました。
最初に見付けた施術は、指圧による治療でした。
治療前の先生の診断では頚椎捻挫は治す事は出来るが、腰痛と足の痺れに関しては治す事は出来ないとの事、それでも藁をもすがる思いで、首の痛み、左手、拇指と人指し指の麻痺、左腕の運動障害の治癒に向けての治療を受けました。
しかし、治療は激しく頸部を押しもんだ後に、牽引治療機による負担15キロの牽引でした。
指圧治療は苦しみの連続で、治療後も決して身体が楽になった様子も、痛みが緩和されたわけでもありませんでした。
それでも、先生の言われるがまま2週間通院致しました。しかし、痛み、痺れ、不自由な身体は回復しないままでした。
14日目には、「もう、これ以上は治す事は出来ない。」と事実上先生からは敗北宣言を伝えられ、全く症状は入院中と変わらないまま2週間で治療は中止となりました。
その後、施術、気功などによる様々な治療を受けましたが、身体の痛みなどの症状が良い方向へ向いているとはとても思われませんでした。
そんなある目の事でした。治療に行く事も出来ずに苦しんでいた時に地元の友人より、四街道市に痛みを取ってくれる治療院があると紹介され、半信半疑の中行く事としました。
私は、今まで通院していた施術医院において、痛みを伴うわりには治っていないために、今回も全く期待はしていませんでした。
治療院に着き治療が始まりましたが、今までの様な痛みを伴う治療は全く行われず、むしろ、もう少し強く押してもらいたい気分で時間が過ぎて行ったのです。
軽いタッチで、そのうえ痛む箇所に的確に触れ、不思議と触られた箇所から氷が溶けるかの様な感覚で痛みの緊張が緩んで行くのがわかり、全身が緩んだ時には治療が終わってしまったのです。
治療用ベットから下りた時、今までに味わった事の無い感覚が全身から伝わって来たのです。
痛みは多少残っては居ましたが、それまでは全身が錆びたロボットの様にギーガシャン、ギーガシャンと痛みを伴いながら動いていたものが、まだまだ活躍出来ると言わんばかりに体中にカがみなぎり、先生のケアーおかげでスムーズな動作で、歩く事が出来たのです。
これが、原田先生のオステオパシー治療との出会いでした。
その後、数日にわたり治療に通い、治療が終わるたびに原田先生の不思議な手が、それまでは真っ暗なトンネルの中に居た私自身、動かない左手指、左肩、痺れていた両足の感覚を回復へと手を差し伸べて下さったのです。
私は、この奇跡的な治療方法に心をひかれ、オステオパシーとは何なのかと調べたところ、その治療は単なる施術だけでは無く医学に基づく事を知り尚一層の驚きを感じました。
今の日本は、西洋医学や東洋医学の治療に頼り過ぎている為、回復が望めない病気や怪我で苦しまれている人達が沢山います。
源に自分の症状は整形外科では治せないと言われ、「痛みが有れば痛み止めの投与や牽引等で、あとは我慢するしか無い。」と見放されてしまっていたのでした。
自分の経験から、今の日本の医学が間違いだとは申しません。しかし、治す事が出来るオステオパシー医学があるのだから、その優れた医学を学び苦しんでいる人達を救う事、手を差し伸べる事が、今後の医療ではないのかと思って成りません。
原田先生のオステオパシーに救われた私は、今度は私がオステオパシー医学を1から学び、苦しんでいる人達に、手を差し伸べ導いてあげられる一本の手になりたいと思うようになり御相談致しました。
原田先生からは、「まずはテクニックより大切な、人体システムの解剖学、生理学を熟知しなければならない。」と御指導を受け、現在私は解剖学と解剖生理学を勉強しています。
そして、その勉強に併用し、「オステオパシー医学の思想」という本を読みました。
それは、アンドリュー・テイラー・スティル博士の哲学的な理論でとても感銘を受けました。
その文面の中「オステオパシーの基礎となる思想は、全ての血液はいかなる時も、全ての部分、全ての器官から器官へと流れていなけれぱならない、ということである。」という言葉でした。
それは、趣味で観賞魚を飼育している私の推測するに、水槽の中に、いくらきれいな魚を泳がしていても、水流が無く濾過を怠っていては、水も腐り三日で魚も病気になり、そのままでは死に至るのと同じ事。
そして人体こそ血液を含む体液の循環が最も重大な生命維持ではないかと、スティル博士の哲学を読み尚一層思いました。
その循環経路の妨げを「判断する能力」と、それを「取り除くための能力」を、もっともっと勉強し苦痛を抱えるたくさんの人達に、手をさしのべ、導いて行けるそんな「手」に私はなりたいと願って精進していくつもりです。
T.T